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実は気苦労だらけだった「御台所」の食卓

「将軍」と「大奥」の生活㉕

■食材や調理法にも細かい決まり事が

こちらは大奥の婚礼の様子。普段の食事よりも多くの膳が並び、豪勢な美食が並んだことが想像できる。女中たちの装いも華やかだ。国立国会図書館蔵

 昼食には、春だと蜆(しじみ)の汁、平はコチの切り身、長芋、薇(ぜんまい)に、置合は寒天、栗または慈姑(くわい)のきんとん、擬製豆腐(ぎせいどうふ)、金糸昆布、焼物は鯛、御外の物は海老、御壺は蒸し卵などが饗された。

 

 夕食は、二の膳のみで平(ひら)はなく、春だと鯉こくの汁に鯛の刺身の皿、置合は蒲鉾、切身、羊羹(ようかん)、卵焼き、鴨、雁(かり)、焼物は鱚(きす)、御外の物は鮑(あわび)、御壺はからすみなどであった。

 

 また、好みによっては3度の食事に酒を出すこともあった。毒味が済むと銀の銚子に入れ、春慶塗の三方に乗せて出し、御中臈が酌をした。酒の肴は吸物と2種類の料理が作られ、たいていは刺身や照り焼きの類であったという。

 

 なお、食材としてはネギ、ニラ、ニンニク、らっきょう、秋刀魚、鰯(いわし)、鮪(まぐろ)、鯰(なまず)、ドジョウ、牡蠣、アサリ、獣肉などは一切使わず、調理としては天ぷら、油揚げ、納豆の類も膳には出されなかった。水菓子(果物)として饗されたものは梨、柿、蜜柑のみで、桃もりんごも食すことはできなかった。

 

 さて、八つ時(午後3時前後)はおやつの時間である。お菓子は、御舂屋(みつきや)製の羊羹や、白銀町二丁目大久保主水、愛宕下長谷川織江、本石町二丁目金沢丹後、横山町三丁目鯉屋山城の饅頭(まんじゅう)などを、唐草(からくさ)模様の金蒔絵(きんまきえ)のほどこされた黒塗りの菓子盆に1種類5個ずつ盛って出された。食事と同様の手順で毒味が行われ、御台所は2個以上のお菓子を食べることはなかったという。

 

 このように、御台所の食事には決まりごとが多く、味を楽しむというよりも、気苦労の方が多かったのではなかろうか。セレブはセレブなりの不自由があったのである。

葵紋蒔絵野弁当
将軍や大名が花見や観楓などの行楽の際、持ち歩いた飲食器。酒器や重箱、飯椀・汁椀から、多くは茶を点てる道具まであり、ひとつひとつに葵紋が施されている。江戸時代のピクニックセットである。
東京国立博物館/出典:Colbase

監修・文/小沢詠美子

『歴史人』202110月号「徳川将軍15代と大奥」より)

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